私が怠けた生活をおくるために調べたこと、やっていることを書き綴っていくだけのブログです。

ラグマス・ロストフラグ・マジカミ関連の記事は内容が古くなってしまっているので整理予定です。

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なぜ暴走した車はいつも小学生の集団に突っ込んで事故るのか

先日もまた話題になりましたが、飲酒運転や居眠り運転、その他の暴走車両が事故を起こすときはなぜか子供の列に突っ込んでいます。

確率的にはそんなに多くなさそうなのに、なぜこの最悪なパターンにいつもなるのか?

ということを簡潔にサクッと書いていこうと思います。

暴走車はいつも小学生の列に突っ込んでいるわけではない

いきなり矛盾しているようですが、実は暴走車がいつも子供の列に突っ込んでいるわけではありません。

そのような事故があったとして、私達はどうやって知りますか?

テレビ・新聞のニュースやそれを情報源としたSNSでの話題がほとんどだと思います。たまたま現場に知り合いが居たわけでもなければ。

私達が目にしたり耳にした時点で既に一種のバイアスがかかっているんですね。

報道される暴走事故と報道されない暴走事故

新聞なら書ける文字数に限りがありますし、テレビのニュースなら報道に使える時間に限りがあります。その中で報道するべき内容を取捨選択するとすれば、インパクトがあるものか社会に対する影響が大きいもの、視聴者の関心が高いものを優先するでしょう。

ここでもし「飲酒運転の車が子供の列に突っ込んでしまった」というニュースと「飲酒運転の車が道路脇の田んぼに突っ込んだ(運転手は無傷)」という2つのニュースのうち1つしか流す尺がなかったとして、どちらを流しますか?

よほど捻くれてなければ前者を選ぶと思います。後者はたしかに飲酒運転は違反ですが、無関係の人にとってはどうでも良い話ですからね。

私達のところに届いた事例だけで判断してしまっている

統計データを調べてもらえばわかりますが、車で暴走する事故は毎年結構な数が発生しています。ですが、その中で子供の列にピンポイントに突っ込んでいる事故はあまり多くはありません。

ところが、自分で統計を調べようとしない限りは自爆しただけの事故を知らないままなのでカウントしません。自爆して高速道路を塞いで大渋滞を作ったときくらい。

小さな事故をカウントしていないのですから、私達は「車の暴走事故はいつも悲惨なことになっている」と判断してしまうわけですね。大きな影響があった事故しか存在を認識してませんから。

見ている私達の心理も関係している

人間の心理として、基本的に良いことは忘れて悪いことは覚えていることが多いです。

悪かったことを忘れてしまえば同じ失敗を繰り返しますし、良いことを覚えていて同じように期待していたのに期待通りにならなかったときは落胆しますから。期待していなければ落胆しません。

生き残るためには、良いことは忘れて悪いことは覚えている方が都合が良いわけですね。

なので、無事に誰にも突っ込まずに自爆だけで済んだニュースは忘れてしまいがちですし、子供の列に突っ込んでしまって大きな犠牲が出たニュースはいつまでも覚えています。

その差も効いていくるわけです。いつも最悪なパターンの事故ばかりに感じるように。

おわりに

というわけで、報道によるバイアスと心理的なバイアスによって「いつも子供の集団に突っ込んでいる」ように感じてしまうという話でした。

文中で自爆事故を軽視しているような書き方をしているところもありますが、より悲惨な事故と比べた場合であって、事故を軽視しているわけではありませんので悪しからず。