私が怠けた生活をおくるために調べたこと、やっていることを書き綴っていくだけのブログです。

ラグマス・ロストフラグ・マジカミ関連の記事は内容が古くなってしまっているので整理予定です。

参考になった話があったらシェアしていただけるとやる気がUPします。

デマを流す人が必ず現れるのには理由がきちんとあります。

今だとちょうどワクチン関連のデマが話題ですが、どんな時代でもデマを流す人は必ず現れます。迷惑なことに。

ただの個人ならまだマシなのですが、テレビに出ているような有識者にも居る始末。

すでに地位のある人たちがいったいどうしてデマを流すのか、その大きな理由の一つをさくっと書いていこうと思います。

結論の核だけを簡潔に言えば、「正論は誰でも言える」からです。

 

正しいことを言ってもメリットがない

コメントを求められたときに正論だけを答えていれば、確かに有識者としての役割は果たしているかも知れません。

ですが、それだと「自分である必要性」が無いんですよね。他の専門家に聞いても同じ答えが返ってくるのですから。

データと理論に基づいた正論とはそういうものです。

メディア相手の仕事という観点だけで言えば、毎回当たり前のことだけを言っていれば他の専門家に立場を奪われるおそれもありますし、なにより視聴者・読者の記憶には残りません。インパクトがないですから。

中には「正しい情報だけを正しく伝えたい」というメディアもあるかもしれませんが、残念ながら私が知る限りそれほど多くありません。素人が読まないことを前提とした学術誌などの分野でしか見た記憶がないほど。

デマを流すことはブランディングの一種

デマを流せばインパクトがあって話題になりますし、不安を煽って読者・視聴者の記憶に残すことができます。

人間の不安を煽るのはマーケティングでもよく使われる伝統的な手法ですから効果の程は人類の長い歴史が証明済み。

正論を言う有識者を連れてきても話題になりませんが、デマを流す人を連れてくれば話題になるのでそのような人を求めているメディアが当然出てきます。

そこを狙って自分をブランディング(ブランド化し、価値を高めること)しているわけですね。自分を使えばこういう過激なことを言うから話題性があるぞ、と。

メディアは自社の人間がデマを書いてしまうと大きな責任問題ですが、外部の人間に言わせてしまえばもし問題になっても"デマを言った人を切って"から一度謝罪する程度で済みます。「不適切な人物にコメントを求めた」ことを謝罪する形で。

デマを流すデメリットよりメリットの方が大きい

デマを流せば当然「まともな人」からの評価は下がります。

ですが、悲しいことにまともな人を相手にするよりも騙されやすい人を相手にしたほうが儲かります。

正論を言っていてはまともな人からの信頼しか得られませんし、別の専門家でも言えてしまうので自分にコメントを求めてくるメディアも減ってしまうかも知れません。

それら全ての要素を天秤にかけて「正論を言い続けるより得だ」と判断した人がやっているわけです。

この「得」というのがお金だったり仕事の量だったり承認欲求だったりと様々ですけど。

確証バイアスがデマの後押しをしている

認知バイアスの一種である「確証バイアス」がこのデマを援護します。

小難しい専門用語なので一言で表してしまうと「人類は自分に都合の良い情報を探してしまう」ということです。

例えば、自分が見たドラマがつまらなかったと思ったなら「[ドラマのタイトル] つまらない」で検索してしまう。そうすれば当然その作品を「つまらない」と思った人の意見が沢山あつまります。

そして「みんなあの作品はつまらないと思ってるんだ」と納得して終わり。

ですがこのケース、実際は「[ドラマのタイトル] おもしろい」で検索したほうが情報がたくさん出てきた可能性もありますよね。

片方だけ調べて終わりにしているので、本当はおもしろいと思った人とつまらないと思った人のどちらが多いのかはわからないまま。

最初から「つまらない」と思って情報を探しているので、自分に都合の良い同じ意見だけを集めてしまったわけですね。

少数派だからこその強さがある

同じように、何かを誰かが調べているとして、正論を言っていた場合は自分と同じ意見がたくさん出てきてしまいます。それでは情報の海に埋もれるかもしれません。

ところが、誰も言ってないような突拍子もないことを言っておけば、世間で出回っている正論に抗いたい人が見つけてくれます。彼らは必死に探してますから。自分の考えをサポートしてくれる屁理屈を。

彼らからすれば数少ない仲間なので、強い仲間意識を持ってくれることさえあります。

 

みんなが言っている正論だったらこうはなりません。数多く居る常識人の1人として埋もれてしまうことでしょう。

 

現代のインターネットはソースを確認しない

ここは本筋とは関係ないので読み飛ばしてもらっても良いのですが、現代のインターネット、主にSNSをメインに使う層の方々はソース(情報元)の確認という行為はまずしません。

というわけで、一度流してしまえば内容が正しいかを確認せずに「みんなに教えなきゃ」という使命感で広めてくれる人がそれなりの数います。

これがデマを流す人にとっては追い風。流したもの勝ちです。

結局は目立ったものが勝つ

身も蓋もないですが、結局はここです。お金だったり仕事だったり承認欲求だったり求めるものは様々ですが、知名度は正義です。

正論で当たり前のことを言って常識人の1人で終わるよりは、大勢の常識人に嫌われようとも自分を強く信じてくれる人たちを集めたほうが得だと判断する人がいるわけですね。

「儲」という漢字がそれを教えてくれます。分解すると「信者」

この構造をどうにかしない限りデマを流す人は現れますし、人類には多分これを食い止めることは不可能でしょう。

おわりに

というわけで、長々と書きましたがデマを流したほうが自分が得するからという理由でした。

もちろん全てがこの理由とは限りませんし、中には本気で信じてデマを流している危ない方もいらっしゃるかも知れませんが、仮にも有識者と呼ばれる地位にまで上り詰めた方は、みなさんが思っているより色々考えていますよ、ということです。

 

※ねんのために書いておきますが、私はデマを流すことに賛成しているわけではありません。